東北コンクリート製品協会会報No.6 2017年3月15日発行
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― 34 ―るって言ったら、監督さん8球団でお願いします。ドラフト会議来年の10月下旬だから8球団になるためにがんばってねと言ったんです。何球団来たかというと8球団は来なかったのですが、高校最多の6球団だったんです。これ、ぶち破ったんです、日米あわせて20球団も来ることは想像もしていませんでした。いま生徒に何を教えているかというとですね、人生が夢を作んじゃなくて、夢が人生を作るんだって教えているんです。ビル・ゲイツも言ってるんです、成功のカギは的を見失わないことだと。的って目標のことです。孫正義さんも言ってるんです、自分の持った夢に自分の人生は概ね比例するんだと。ヘレンケラーも、この世の中で一番哀れな人は目が見えてても未来への夢が見えていない人だと。目標がその日その日を支配します。夢は逃げないんです。逃げるのはいつも自分です。わたしがそうでした。この言葉が好きで何かあると書かせてもらっているんですけど、人生の悲劇は目標を達成しないことではなくて目標を持たないことだ。素晴らしい言葉だなと思ってます。夢をかなえる方法がわかったので、次々に目標を立てて設計図を作ってやっています。最初バトミントン部の時、家の農家の手伝いもしてましたのでコンバインに乗って、田植え機にも乗って繋着着ながら頑張ってたんです。わたし繋着が似合ってですね、ノックバットよりもスコップが似合う男なんですけど、ある時ですね、ジャパンのユニフォーム着てみたいなと思ったんです。夢をかなえる時にいつまでにと期限をつけて、あと手帳にワクワクするような写真貼れって書いてあったんで、全日本の監督になった人の写真を手帳に貼ったんです。いつか繋着じゃなくこっち着たいと思ってですね、江釣子村の田舎のやつがとんでもない夢を持ち始めたんです。当時は夏の甲子園の優勝した監督が全日本の監督で、準優勝の監督が全日本のコーチだったんです。雄星がいた時に、1回戦勝って2回戦勝った後に初めて生徒に手帳見せたんです。横倉って面白い選手がいて、ホテルの部屋へ行って、おい横倉ちょっと来いって言って、ちょっと見てくれって言ったんです。あと3つ勝つとな俺これ着れるんだよと言って何とか頼むって言ったんです。彼はやんちゃ坊主だったので、わかりました、あと3つ勝てばいいんですね、着たいんですね。ああ頼むなって。雄星にも、おいおい雄星、緊急事態、あと3つ勝ったらこれ着れるから頼むって言ったんです。あ、わかりましたって。あと1つ勝ったら決勝まで行ってジャパンのユニフォーム着れるというときに、準決勝で中京大中京にぼろ負けしてしまったんです。ホテルの会場で生徒とボロボロ泣きながら最後のミーティングしたんです。私の話終わったら、横倉が涙流しながら鼻水たらしながら何言ってるのかわからなかったのですが、監督さんすみませんでしたみたいなことを言ってたんです。いやいや横倉そういうために言ったんじゃないからいいからって言ったんです。雄星も泣きながら言ってたんで気にするなって言ったんです。その後、高野連から私の携帯に電話があって、「あの決勝まで行った日本文理の大井監督さんが辞退した」って言ったんです。来た、来た、来た、夢が実現するって思ったんです。わたしこの通り調子に乗るタイプなので、謙虚にいかなきゃいけないと思って、ベストフォーだったんですがもう一つベストフォーのチームがあるので、向こうのベテランの監督さんもいらっしゃいますしと話したんですが、「春に準優勝していたので満場一致で佐々木になった」って言われたんです。ほんとに生徒に感謝してます。全日本のユニフォーム、農家の息子が着たんですけど、かっこつけて写真撮ったので笑わないで見てください。これ、松井秀喜が一時いた、アメリカのエンジェルズの球場でノックさせてもらったんです。いまソフトバンクにいる今宮君とか、広島に行ってる堂林君とか素晴らしい選手相手にノックさせてもらったんです。これは、中京大中京の大藤監督さんと写真撮特別講演平成29年願い相互信頼

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