東北コンクリート製品協会会報 No.5 2016年9月15日発行
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― 1 ―平成28年願い相互信頼1.はじめに突然ですが、浅野祥雲をご存知ですか。 恥ずかしながら筆者は全く知りませんでした。先般、テレビを見ていて偶然知りました。昭和中期、コンクリート像を作る彫刻家として有名な方だったそうです。彼のことを熟知の方には申し訳ありませんが、彼の話とコンクリート像について触れてみたいと思います。なお、テレビでは以前にもタモリの番組や昨年には「マツコ&有吉の怒り新党」で放送されたそうでご存じむきもおられると思います。先般、私が、ながら病的に見ていたテレビでは、彼が製作したいろいろなコンクリート像が紹介されていました。そこでインターネットで調べてみると愛知県を中心に多種多様なコンクリート像を作っていたことが出ていました。コンクリートの芸術とはどんなものか、また、一種のコンクリート“製品”でもあるので大いに興味を抱いた次第です。2.コンクリート像製作の背景近代文明の根幹を支えたコンクリートは優れた建材として、明治の後期から急速に普及した。仏像の世界でも火災や地震による倒壊は長年の悩みで、これを解消する材料としてコンクリートが注目された。木彫など卓抜した技術は必要なく、石造のように素材自体のスケールに制限されることもなく、鋳造ほど費用もかからない。像の巨大化にうってつけの素材だった。その証拠にコンクリート大仏は全国で盛んに作られている。 鉄筋特別連続寄稿コ ン ク リ ー ト 像岩手大学名誉教授 藤 居 宏 一を芯にしてコンクリートを盛りつけた構造は、奈良時代の仏像の塑像作りと共通している。3.浅野祥雲の生涯浅野祥雲を簡単に紹介すると、彼は1891年、岐阜県の現在の中津川市に生まれた。土人形を製作する職人であった父の仕事を継いで土人形製作を始めるが、33歳で名古屋に移住後、自由に大きな人形を作りたいという思いから、コンクリートでの人形像制作を始めた。作品は愛知県、岐阜県を中心に800体近くが現存しており、ほとんどが身長2m以上の人物像(仏像が多い)で、コンクリートの表面にペンキで着色され、一箇所に集中して林立することが特徴である。1978年没。4.祥雲の作品前項でも触れたが、作品は多種多様で、仏像、お伽話、歴史物語の人物や人物とその場面(複数の人物を配置)などである。祥雲が好んで作ったのは、毘沙門天が邪鬼を踏み潰している像が数多く作くられている。前述のテレビ映像の中で一番印象に残ったのは、兵士達の像であった。(写真1) 他の作品と違って重苦しい雰囲気になった。昭和12年、上海上陸作戦で戦死した兵士達の像で、名古屋で集められた100名ほどの部隊が中国に出兵したのだが、その多くは半月で戦死してしまった。像は遺族が持っていた写真を元に造らせたそうである。

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