東北コンクリート製品協会会報 No.4 2016年3月15日発行
13/66

― 9 ―在校していた計約600人全員が無事に避難した。児童・生徒は刻々と変わる状況に機転を利かせ、自らの命を守った。釜石東中と鵜住居小は隣接。両校から最初の避難場所となったグループホームまでは1km、2つ目の避難場所の介護福祉施設までは約1.5kmのゆるやかな坂で、大人の足でも歩くと20分かかる。そこから急勾配となり、500メートル先に最終避難地点の石材所がある。(図2)両校は群馬大学の片田敏孝教授ら研究グループの指導を受け、「迷わず行動に移れるように」と、実際に児童・生徒に避難経路を確認させ、計画を練り、避難訓練を行なってきた。地震直後の学校の様子は省略するが、部活をしていた中学生の一部が「津波が来るぞ」叫んで走り出していた。ほかの生徒も“教員の指示”で、避難を始めた。小学校では3階に校内避難をしていたが、“中学生の避難をみた教員” が小学生に避難を指示した。生徒・児童とも第一避難所にたどり着いた。ここはハザードマップの浸水想定区域外なので、教員は津波はここまで来ないと思っていた。ところが、グループホームの裏山が崩れているのをみて、生徒・児童が「余震が危ない」と騒ぎ出したので、万全を期し、さらに後方の介護福祉施設に避難することになった。また、大人達は第一避難所が湾から直線で1.4km、河口から2kmも離れているので、まさか津波がここまで来るとは思っていなかった。しかし、生徒は避難所(標高6m)が学校と標高に差がないことも知っていて、「高い所に逃げる」ことにならないと感じていた。第2の避難場所である介護福祉施設(標高13m)に移動し始めたとき、爆音が響き、小中学校や住宅を巻き込んだ津波が後に迫ってくるのを目撃し、生徒らは小学生、途中で合流した幼児らの手を引きながら走り、目指していた介護福祉施設からさらに急勾配の道を登り石材店(標高44m)に向かった。事実、津波は第2避難所の基礎まで達した。報告者の話では、中学生に体験談の中で「大人はあてにならない」といわれたという。津波には標高の高い所への避難が常識であり、命が懸かっているのに、距離に惑わされて高さを忘れてしまうわれわれ大人は返す言葉がない。また、今回の事例は「奇跡」ではなく、防災教育・訓練の結果であり、教育・訓練の意義を再確認させたものである。4.大川小学校の悲劇釜石の奇跡の逆が宮城県石巻市大川小学校の悲劇である。ご存じの会員諸氏も多いと思うが、生徒108人中68名死亡、6名行方不明という悲惨な事態である。未だ係争中のことでもあり、論評は控えるが、伝えられる報道をもとに触れてみたい。校庭で待機中の6年生の児童達はすぐ側の山へ逃げた方がいいと訴えていたのに、教員達は聴く耳をもたず、大津波警報が発令されたにもかかわらず、小田原評定のあげく、200m先にある小高い所を避難場所として目指すことになり、校庭か図2 学校と避難所の位置平成28年願い共存共栄

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

page 13

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です