さくら物語19号
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柴田 山形では人の連携がまだ弱いので、新しいことをやっている人たちがどんどん森林ノミクスに も入って意見を言ってもらい、多才な人材バンクのようなものができるといい。 須藤 感動があってこそ愛される製品が生まれるし、人なしにはデザインもできない。技術や歴史など、 知ってもらう機会が少ないことも、製品の背景として伝えていきたい。 柴田 こだわる人たちが増えて、地元で循環の小さな市場ができるといい。 横尾 そういう分野の人たちをピックアップして価値をきちんと知ってもらい、伝える人たちが少ないと感じる。今、須藤さんがチャレンジしている。 須藤 土を掘って、宝物を探しているような感覚。 柴田 フォーラムには4,000人会員がいるのだが、そのような活動を知ってもらうのも大切。物づくりに大事なのは、良い物を長く使えること。使い捨てることが環境悪化の一因となっている。フォーラムの活動も、長く続けることで浸透していく。 須藤 ルーツである家具修復の話で言えば、修復することが長く使える方法になり得るが、そもそも生み出す時点で直せる製品を作っていくことも、ものづくりの大切な視点だと感じる。 林業の現場から見える山形の現状 齊藤 今は林業をしているが、2000年までは山形で№1の靴の小売 業を経営していた。だが、自分の力が足りず、倒産させてしまった。 その後、妻の実家が櫛引町で農業をやっており、手伝ってくれと言わ れた。街の中心地に店舗のある流通業からで抵抗もあったが、生活を 確立するために里山での暮らしを始めた。田んぼのある、旧櫛引町の たらのき代は、月山の水が一番最初に入ってくる場所でもあり、農業は とても面白いが、先行きを見ると不安が大きい。妻の家では、もとも と農業の他に松、杉の苗を作っていた種苗農家だった。苗は3年程で 出荷しないと売り物にならないので、だんだんと縮小して行き、今は やっていないのだが、義父には杉、松の知識があった。それがきっか けで、森林組合から農家の人の手が空く時期に、杉山の植樹や草刈りを 手伝ってほしいと言われた。やりだしてから林業を見てみると、若い 人も入ってはいるが高齢化、機械化が進んでいた。そこで、急斜面や 道路から30分歩くような現場とか、皆がやりたがらない隙間がある のではないかと思った。その話を義父にしたところ、昔は農家の仕事が ひと段落すると、建設業で働く人が多かったので皆重機の免許があり、 杉山の草刈りや植樹等は農家だったらできるとのことだった。そうい うスキルのある人たちに働いてもらいたいと3年前に法人化した。今の 時期は庄内で海岸の松枯れを駆除する仕事をしているが、あのまま松 枯れが続いたら、沿岸では砂が入り、田んぼができなくなるのではな いかと危惧している。それに対して、県も国ももっと予算をつけて植 樹する必要があると感じる。今県内は、川上はナラ枯れがひどく、用 材となる杉や桧等は、昭和40年代に入ってきた外材のために価格が急 落し、今や自分の山林がどこにあるかもわからない人が増えていて、 間伐もされず放置されているところが多い。適正に間伐すれば本来は 流通にのる良木になるのに荒れ放題。流木の増加も、そのようなことに 起因していると考えている。技術のある高齢者や山林に興味のある人を 雇用して県有、国有林に植林できるようにしたい。 柴田 例えば、森林ノミクスのプロジェクトで、農業大学から林業先 進国へ留学させて森林官を育成し、松枯れ等の対策もとれるような大 きな仕組みづくりが必要ではないだろうか。 横尾 もし実現すれば齊藤さんのような仕事は引く手あまたになる。 齊藤 貴裕 29歳の時に、Uターン、跡継ぎとして家業に従事。 34歳の時に社長だった父が癌により他界、 代表取締役社長に就任、業界内では県内最大の小売りチェーンとなるが、後に倒産。 義父と、農林業を生業とする会社「株式会社リンショウ」を2014年4月に設立。 【株式会社リンショウ】 所在地 鶴岡市たらのき代西野830 |美しい山形・最上川フォーラム|05 FORUMTALK 山での伐倒作業の様子

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