建築士山形 2017 No.97 architect of yamagata
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 現在アメリカでは大統領選挙が終わりトランプ氏がいろいろ発言して反トランプ氏もいてなかなか賑やかである。日本の首相も早速会いにいき何を話したか秘密だと言う。もうすこし時がたてばアメリカ政府の姿が見えてくるだろう。ロシアのプーチンが四島返還の話で日本の山口県にくる話である。だが今度は話の内味は秘密とはいくまい。 今回はトランプやプーチンのことではなくコンドルのことである。コンドルといっても怪鳥のコンドルではない。建築家コンドルのことである。建築の生業としている皆様には十分その名前は存じていることと思う。そこで数多くの建築作品を紹介する気はない。最近コンドルの文献を調べていたら、あっと驚いたことがあったのでそれをここで紹介したい。 彼は日本政府の招きで24歳の時ロンドンから横浜にやってきた。政府のお雇い外国人建築家として仂き教え子は4名卆業させた。辰野・片山・曽根・佐立で日本の最初の建築家となる。その後も多くの教え子を育てる。また、多くの建築を精力的に設計をした。ここで作品をあげて紹介することはしない。コンドルの人間についてである。ロンドン時代から日本についていろいろ関心を持っていた。日本にきてからは論文や研究がある。日本衣裳史や日本庭園の研究等がある。他にも絵・生花・歌舞伎・踊り等。彼の並はずれていたのは日本趣味の実践である。自宅に踊りの師匠を招いて花柳流を習い落語家を招いて落語を聞いた。自分も演じようといた。幕末・明治初期の絵師・河鍋暁斎との交流である。絵師はテレビに時々出てくる何でも鑑定団の一風変った作風である。河鍋暁斎の門に入りイギリスにちなんで暁英の号をもらい週に一度自宅に招いて実技を習い弟子と合評等をした。時には日光に写生旅行をしている。コンドルは展覧会で賞を得るまで上達した。二人の関係は弟子でありパトロンであったらしい。河鍋暁斎のコレクターでもあった。 自宅に出げいこに来ていた花柳流の踊りの師匠・前波くめを入籍して妻とするが、二人の間に子は生れなかった。コンドルは日本人と結婚したのである。それはありうることかもしれない。 しかし、コンドルにはその時すでに子供がいたのである。日本にきて間もなく若い芸者の間に出来た娘がいたのである。里子に出され浅草の下町に住んでおり、青い目の元気なお転婆だったらしい。引きとられた娘はハルという名で東京女学館に入学して更に外国で教育を受け日本に帰ってきてスウェーデン人と結婚して外国に行った。 コンドルは日本人と結婚したのは驚きはしないが、芸者に子供を産ませていたとは。結婚前に子供がいたとは、それを事前着工とタイトルにしたわけ。明治時代に建築の確認申請はなかったわけだが、くめ夫人が太っ腹で立派だったのか本当のことは判らない。 大正9年6月、病気のコンドルの看病に疲れたくめ夫人が急逝し、後を追うように11日後コンドルが亡くなり67才だった。お墓は東京の護国寺にある。會田征彦 AITA yukihiko From山形支部建築家コンドルの事前着工。コンドル            妻 くめPage19TitleNameNumber会員だより9/11AITA yukihiko

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