建築士山形 2016 No.96 architect of yamagata
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 国土交通省住宅局建築指導課長から特定行政庁建築主務部長あてに特別豪雪地帯等における高床式住宅の床面積の特例の基準の通達が出されたのは、昭和62年4月1日で、その主な内容は、床下部分に給水、ガス、収納設備(電気設備は除く)を有せず、高床の床下の構造は、原則として一体の鉄筋コンクリート造とし、床下部分の高さは、1.8mまでを原則とする。 高床式住宅とは、 一戸建ての住宅で、特別豪雪地帯または細則で明示した垂直最深積雪量が2.0m以上の地域で建築されたものとなっている。ただし、床下の高さは、積雪の状況及び立地条件等により特に必要であると建築主事が認めた場合は認めた高さとする。ということで山形県の建築住宅課でも高床式住宅の床下部分を床面積に算入しなくてもよい場合の特例基準を作成し、昭和62年5月から運用を始めた。この基準では、床面から根太下端までの高さが1.8mあるので、余剰空間の利用のため壁と天井を石膏ボードなどの準不燃材で仕上げ、内装制限すれば、RV車は無理でも、背の低い普通乗用車は置くことが出来た。その後、幾度か基準が見直されてきたが、平成21年1月1日から、国土交通省通達(平成12年6月1日付)の建築基準法の一部改正による小屋裏物置等の取扱いが付け加わった。山形県土整備部長通知の平成24年9月25日の高床式建築物の取扱い基準では、従前の県独自の運用基準を廃止して、昭和62年の国土交通省通達の高床式住宅の特例基準と平成12年6月1日に国から出された小屋裏物置等の取扱い基準がそのまま適用されている。国の通達だけでは、考え方が統一されず、県職員だけでなく民間確認機関の担当者によっても取り扱いがバラバラになり、結局、設計者は、明確な細部の基準が分からず、苦慮することになる。また、この基準では、最高の内法高さが1.4mを超えると全て床面積に算入し、しかも1.4m以下でも1階の床面積の2分の1以上の面積があれば別の階そして床面積に算入することになる。小屋裏物置等の取扱いは一般の地域を対象にしたもので、地面を掘削して地下室にして、1階の床の開口部から出入りする収納専用に利用する物置等を対象としたものであって、一方、高床式住宅では、積雪により採光・通風が悪くならないように、基礎を高くしたもので、1階床の開口部だけでなく、基礎の立上り部分の開口部の横から出入りすることもある高床式住宅の床下部分とは別ものである。それに小屋裏物置等に該当しないものに高さが1.4mを超えれば構造計算を義務付けている。そもそも小屋裏物置等に構造計算が必要とする根拠は、小屋裏物置では、積載荷重を支える梁や柱などの下部構造に影響するからであり、地下室として利用する床下物置等は、積載荷重も然ることながら、側壁や底盤に掛る土圧等も考慮しなければならないので構造計算が必要となる。高床式住宅の床下部分では、仮に積載荷重が掛かっても床は、土間やコンクリート叩きなので、下部構造に影響することは少ないので、構造計算は、一般的内務省に雪害対策調査会の設置が認められた。昭和八年(1933年)北海道・東北全代議士の署名をもとに「地祖法中改正法案」を提出する。新庄市に「農林省積雪地方農村経済調査所」の設置が決定される。昭和十年雪害救済運動の完結を記念して父母報恩寺境内に雪の観音堂を創建する。昭和十一年(1936年)第19回総選挙で当選《5回目》する。昭和十二年(1937年)第20回総選挙で当選《6回目》する。昭和十五年(1940年)拓務政務次官に就任する。昭和十七年(1942年)第21回総選挙で当選《7回目》する。昭和二十年(1945年)マッカーサー令により公職を追放される。昭和二十一年(1946年)満州開拓民引揚者を収容して、高冷地農業のモデル農村として雪の観音郷開拓団を組織し、葉山の中腹の大高根村山ノ内地区に入植する。昭和23年(1948年)第二回国会で国家公務員の寒冷地手当に関する法律が制定される。昭和二十五年(1950年)第七回国会で地方財政平衡交付金が制定される。昭和二十六年(1951年)公職追放が解除される。天童市出身の松浦東介代議士が加わり、積雪地方出身議員が結束して、同年に、食料供給源でもある積雪寒冷地帯の農業振興を目的にした積雪寒冷単作地帯振興臨時措置法が制定される。昭和二十七年(1952年)第25回総選挙で当選《8回目》する。北海道・東北地方の国有林解放運動により、国有林より生ずる利益を東北民に還元する。昭和二十八年(1953年)第26回総選挙で当選《9回目》する。日米間航路開設による日米友好親善訪問団長として渡米する。昭和三十年(1955年)国会が解散され、選挙遊説先の鶴岡で倒れ、そして鶴岡で没した。享年74歳。生涯を雪害救済と後進地東北の振興のために活躍し続けた。昭和三十一年(1956年)積雪寒冷特別地域における道路交通の確保に関する特別措置法が制定される。昭和三十七年(1962年)積雪地域の雪害の防除その他産業等の基礎条件の改善に関する総合的な対策を進めることを目的とした豪雪地対策特別措置法(議員立法による10年間の時限立法)が制定される。昭和四十五年(1970年)豪雪法中に特別豪雪地帯が加えられ、昭和四十六年(1971年)には特別豪雪地帯における特別措置が設けられ、これまで10年毎に特別措置の期限を延長(全て議員立法)されている。今回は、平成24年3月31日に改正され、同日施行され、第14条及び第15条に定める特例措置の期限が、平成34年3月31日までの10年間延長された。特別豪雪地帯の地域に指定されれば、基幹的な市町村道の改築を道府県が代行出来る。公立の小中学校の校舎等についての新築・改築に係る国の負担割合の嵩上げがあること。また、高床式住宅における固定資産税、不動産取得税、各種住宅税制の特例などの優遇措置がある。 このように松岡俊三代議士により、雪対策に関して法整備が進み、雪対策が行われるようになって、北海道、東北、中部地方の積雪寒冷地で生活する人々の大恩人と言っても過言ではない。Page24TitleNameNumber寄稿2/3WATANABE michiaki

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