建築士山形 2016 No.96 architect of yamagata
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○ 酒田市日吉町2-7-71○ 竣 工 年  1925年(大正14年)○ 構  造  1階鉄筋コンクリートブロック造 2階木造        本館2階建 書庫3階建 ○ 面  積  1,046㎡○ 設計監理  角南 隆(内務省神社局建設課長)         大宰府天満宮宝物殿、明治神宮などの工事に携わる。○ 施  工  森山 善平         「森山式鉄筋コンクリートブロック造」        1927年(大正12年)        実用新案出願登録実用新案第84678号 酒田市日和山公園付近、下日枝神社の境内の東南に位置し、酒田市内を一望できる場所にあります。 本間家3代目光丘の時代、幕府に対して寺院を建てて勉学の場を提供しようとしましたが、許可が下りずにおりました。大正10年、本間四郎三郎光丘翁頌徳会が組織され、光丘を祭神とする郷社光丘神社を建立。これに感激した8代目当主光弥が3代目光丘の意志を継ぎ、図書館建設に寄与され、財団法人光丘文庫を創立、1925年(大正14年)建設されました。 特質なのは、「森山式鉄筋コンクリートブロック造」で現存しているのはここだけであると思われます。型枠コンクリートブロックの内側を湾曲させ、ブロックは“ちぎり”と呼ばれたコンクリート片で結び、中の圧力を軽減させると共にブロックの重量を軽くする事が出来ました。 大正13年発行の府立東京商工奨励館編集、建築資料によれば“在来の鉄筋コンクリートより最も耐震的、経済的に発明したるものなり”と記載されています。 1965年(昭和40年)新潟沖地震の際にも被害もなく現在も活用されています。 和洋折衷の定冠様式で1階入口に唐派風の屋根、2階、塔屋部分の千鳥派風が重なる形の寺院建築モルタル仕上げに梅鼠色の塗装、縦長の上げ下げ窓が設けられている。3代目光丘が建てたかった寺院を摸しているのかも知れません。 昭和33年、蔵書6万冊余、参考資料、建物一切を酒田市に寄贈して「酒田市立図書館」と改称され酒田、飽海地方の文化を推進する役割を果たしました。 1982年(昭和57年)酒田市総合文化センター内に酒田市立図書館が完成するに及び古典籍を所蔵する「酒田市光丘文庫」として樹々の中に囲まれた高台で今も酒田市内を見つめております。※1996年(平成8年)酒田市指定有形文化財に指定されております。伊藤克行 ITOU katsuyuki From酒田支部酒田市立光丘文庫(こうきゅうぶんこ)ITOU katsuyuki1/1残したい建物IImportant Building残したい建物Page22Page22TitleNameNumber

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