建築士山形 2015 No.95 architect of yamagata
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私のイメージでは、「帰還困難区域」ともなれば防護服にゴーグルとマスクが通常のスタイルだろうと考えていたのでとても意外に感られるものでした。ただ、除染範囲は建物周囲や農地だけで山林などは手つかずの状態のままで作業については今後の見通しさえもついていない状態なのだそうです。 昭和40年代から原子力のまちとして生きてきた双葉郡では、これからの復興と再生に向けて原子力とどのように付き合っていくのか、戻るべきなのか、離れるべきなのか、それぞれの事情に照らし合わせながら真剣に考えています。人影のない町中に「原子力で明るい未来・・・」という大きな看板が目に入り“本当にそうだったのだろうか”と改めて考えさせられる想いがありました。 今回のセッションに際して双葉支部の方々が大変なご苦労の末、通常では乗り入れることさえ出来ない制限区域内や福島第一原子力発電所まで車中からという条件の下ではありましたが視察範囲として準備して頂き貴重な体験をさせて頂きました。これは震災からこれまでに自分たちのおかれた状況や現在の復興の状態を生で見てもらい、全国の建築士の仲間からこれからの双葉郡の再生やこれからの日本のエネルギー問題について一緒に考えて欲しいという想いの積み重ねが有ったからなのだろうと今回のセッション参加を通して改めて強く感じる事が出来ました。 被災地ではそれぞれの地域でそれぞれの過程の基に確実に復興に向けて動き出しています。ただその動きは遅く、実際にその場所に行かなければ分からない多くの課題が存在しています。また、たくさんの人たちが被災地の再生に向けて日々活動を続けています。そこには今なお当時のことを思い出すだけで言葉を詰まらせ、体を震わせるほど辛く悲しい想いの中で復興・再生、そして普通の生活に向けて歩み続けている仲間がいます。そんな仲間のために私たちはどのようなことが出来るのか、何を進めていかなければならないのか、一緒に考えていく必要があるのではないでしょうか。 その日が来るまで精一杯支えて行きたいと思います。 私も考えていきます 一人の仲間として。Page18TitleNameNumber会員だよりNumberNAGASAWA yuji4/9
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