建築士山形 2015 No.95 architect of yamagata
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の学部・大学院の通信教育で庭園デザインなどを学んだ。月1回、場合によっては2回のスクーリングがあった。 スクーリングは、楽しく特に良かったのは桂離宮での実習と庭園模型制作であった。 大学院の論文のテーマは、「手水の排水施設に関する研究-水琴窟への展開」とし、水琴窟の成立の歴史的検証であったが「音響工学」も関係した。二年生の時は、早期退職し、建築士人生第1ラウンドを終了し、東京、中部、関西、近畿、山陰、の城下町、宿場町などを中心に各地の文化財資料の収集と古書店めぐりを行った。論文書きは苦悩の連続であった。 水琴窟は縁先手水鉢などが主なもので、明白に茶庭に直接的関連するものはなかった。 水琴窟は小堀遠州が発案したということがある。これは慶応大学所蔵の「桜山一有筆記」の「写し」の中に「水門は昔は四方に瓦を縁に敷き、内に水溜まりてあしき物なるに遠州十八歳の時、洞水門深く掘り中に簀子を当て上に石を敷き扨(さて)は水門石を並べ縁も練土にて固め松葉を敷きたり…洞水門、摺鉢水門は遠州より初まりし事也」と記されている。これが根拠となっている。 桜山一有は、熊本藩細川家の茶頭で、小堀遠州の弟子の田村一斎から遠州茶道を学んだとされていた。 筆記の成立は、1707年で、この「写し」はこれまで、これ以外に写しなどはないと言われてきたので、各所の図書館で探してみた。あり得ないと思いながらも酒田市光丘文庫を訪れたらそこに存在した。それも「写し」と書かれていないものが。古文書の中に「写し」と書かれていないものは良くあることだと言われるが、書かれていない事にロマンを感じる。 酒田市の物は目録の中には「茶事聞書」とされており、「表紙には、「当流聞書口伝」とされていた。 茶庭設計のため、茶庭の文献を見ていた時に「桜山一有筆記」と「当流聞書口伝」がまるで別物のように書かれていたものがった。それで、ネットで「当流聞書」検索したら、世田谷区資料館にあることを発見し、「写し」を頂き比較している。 私のロマンは、光丘文庫のものは,鶴岡の殿様が江戸などでいただいた伝えられたものと。 城下町など観光地では水琴窟を観光施設として活用しているところがある。出羽遊心館にも音色の美しい物がある。「酒田・鶴岡でも観光の拠点の一つとして普及するいいな」と考えている。 数々のレポート課題は楽しくもあり、苦痛であった。 職場の上司・同僚にたいへんお世話になり感謝している。 ここ1年、公共の茶室の茶庭の設計に携わさせていただいた。 茶室・茶庭は基本ルール、流派のルール、禁忌の樹木、デザインなど非常に気を使うもので、設計にあたり、30数年買い集めた茶道・茶室・茶庭に関する書籍や、論文の参考に神田・京都・大阪などの古書店を集めた本類を整理・分類することがでた。実践により、深みを増すことができた。 全国各地、訪れれば可能な限り、公共などの茶室・茶庭を見学している。 一番感激したのは、金沢であった。多くの公共茶室が茶室の利用がない限り、見学可能で丁寧にご案内を頂けるもののあった。「金沢の茶室」という本も書店にあり、さすが、茶道文化の町であり、観光都市と思った。 最近、名古屋市近郊の中部大学で、京都の大学2校の教授・準教授の茶庭・茶室の講演があった。いずれも初めて聞く内容もあり有意義のものであった。その時、名古屋市の白鳥公園の茶室・茶庭の見学にいった。そこは、都市の中にある大規模な公園であった。 大きな池があり、山の渓流を思わせる大規模な流れがあり、紅葉の時期であり、回遊の中でいろいろな見どころが展開し、素晴らしいものであった。ここにはなんと三連の水琴窟があった。 建築士人生、第二ラウンド、平成24年4月より事務所を開設し、景観 ランドスケープ 環境建築 伝統建築 茶室 茶庭 水琴窟の研究・設計を行うとしている新人管理建築士です。 明石城武家屋敷跡江戸後期水琴窟(兵庫県教育委員会資料より)白鳥公園Page13TitleNameNumber会員だより2/9UMETSU yoshio
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