建築士山形 2015 No.95 architect of yamagata
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①木造にこだわることの意味 今年度、支部の事業ではないが話題になった二つの建築作品を見る機会があった。もっともひとつの方は工事中だったので、正確に言えば現場見学会だったのかも知れない。ともに大規模な公共建築物であるが、注目すべき点は木造そして地元産の木材を最大限に使用するというテーマに取り組んだ(と聞いた)ことだろう。 結果は、片方はRC造となりもう一方は大断面集成材で実現した。RC造に至った経緯は知る由もないが、やはり木造であるが故について回る法律の壁「構造と耐火」に関わる事柄なのだろうか…。材料調達の限界もあるかも知れない。が完成した建物は、木がふんだんに使われていて、ぬくもりのある空間を演出されていたように感じた。やはり利用する側から考えれば、安全以上に望むものはないのかも知れない。 かたや、全国的にも注目を浴びた作品で、画期的な「大規模木造耐火」を実現させた。どのような仕掛けなのか、いざ現場へ。まだ仕上げに入っていないフレームだけの段階で見た第一印象は「ごつい」。自分は意匠屋だが、これだけの部材でないと成立しないのかという敗北感のようなものを感じた。「木」は構造の原理のようなもので、根、幹、枝、葉が自然としてバランスを保ち美しく成立している。ふと以前に三川町の東郷小学校を見せて頂いた時の、木造であることの納得感を思い起こしていた。自分の目には違和感のないものに移ったのは、無垢の材料が与えた安心感のようなものだったかも知れない。木の可能性を追い求め、ここに至るまでの幾多の難題、課題をクリアーしてみせた関係者の方々の努力には敬意を表しつつも、木造であることの意味、木造でなければならないものは、そして可能性と同時に限界もまたあってしかるべしと思えるのである。 東京スカイツリーの構造は、法隆寺の五重塔の芯柱の原理に学んだと聞く。木造は確かに未来の建築に生かされるべきだと思うが、工業製品のようにハイブリットしてしまう手法でなく、「素材としての木」と「木造の術」とは別の問題なのではないだろうか。あくまで嗜好の問題といわれればそうかも知れないが。②木造住宅耐震診断について 以前の誌面でもふれたように、平成25年から当支部が中心となり「ながい木造住宅耐震診断士協会」を設立し活動してきました。がその成果がはかばかしくありません。ここまでは年間数件程度…。日常の仕事をしているうえでは一般に「耐震」の意識がそれほど低いとは思えないのだが、制度のPRの問題?診断の個人負担は一割ですので多く見ても一万円以内。裏を返せばそれなりの業務報酬ということ(見直しの動きがあるように聞いています)ですが、もとより地域貢献の意味合いもあって、なかばボランティア精神で受け皿をお引き受けした感のある我々としても拍子抜けと言えなくもありません。 そもそもこの制度は、①耐震診断を行う業務と加えて②補強計画及び概算工事費の作成業務の2段階になっていて、①と②がセットを原則としているものの、①のみも場合もあり得る。当然のことながら、補強を要しないケースもある訳だが、問題は「増築を前提とした補強計画が出来ない」ことにある。結果として普通ならありえない机上の計画図が出来上がる。我々も聞かれれば業務外でもいろいろ答えなければならない。二の足を踏むのも宣なるかなという感じがする。見直すべきところもあるのではないだろうか。 また耐震診断の設定条件上、診断でNGとなったものでも、建築確認申請ではOKということも生じてくる。趣旨が違うといえばそうかも知れないが、両方に携わっている立場にいると素朴な疑問に、自問自答にも悩ましいことがあるものである。金田 巌 KANEDA iwao長井支部長雑感。長井支部FromPage10TitleNameNumber支部だより9/9KANEDA iwao
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