建築士山形 architect of yamagata 2014 No.94
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會田征彦 AITA yukihiko From山形支部東京駅の復原あれこれ。 去年の秋、旧県庁舎に足場がかかり何の工事かと思ったら、復元から18年経過したのでいたんだ外部の建具の塗装工事であった。その時、私はふと東京駅のことが頭に浮かんだ。山形新幹線の車内に置いてある無料の雑誌の記事のことであった。5年にわたって進められた保存・復元工事についてである。東京駅ルネッサンスという特集がのせてあり、戦災などで失われていた壮麗なドーム型屋根や3階部分が復元され創建された当時の威風堂々たる姿へ甦るとある。そしてわざわざ注があり、現存する建造物について後世の修理で改造された部分を原型に戻すとの意味で「復原」を用いていると書いてある。東京駅は大正3年に完成しているので、外壁はレンガ造、屋根はスレート葺で、窓は当然木造であった。すると原型に戻したとすれば木造にした筈だ。東京駅は不特定多数の人々が利用する特殊建築物である。これ迄も既存不適格物を使用してきたものを更に今回の工事で大正時代に戻したのかとびっくりした。 そこで「日経アーキテクチュア」と「新建築」両誌を読んでみた。外部建具は三協アルミのアルミサッシ使用であった。 設計・監理したジェイアール東日本建築設計事務所によれば、はっきりこのプロジェクトを完成するにあたり、かたちを残すだけの保存では意味がないと述べている。保存する部分と変化し活用される部分の両面を同時に考える必要があるといっている。具体的にはホテルも含め当初の内装を復原したのかといえば内装復原したのはドーム上部だけ。干支のレリーフは当時シックイだったが、落下防止のためにガラス繊維強化石こうで、ワシの像は繊維プラスチックに耐候性仕上で重量を抑えたという。 またまた驚いたのは地下の免震工事である。これまで駅舎を支えてきた地下の松杭を撤去して新たにRC杭を打ちこの工事の杭工事が終わる迄約3年かかったという。更に地下の躯体を新設し免震装置を設置。駅舎を毎日使いながら約5年間は難工事の連続だったとか。 復原について、旧山形県庁舎の場合は改造された部分を原型に戻す手法がとられたが、東京駅の場合は違っている。ジェイアール東日本建築設計事務所では内装で復原したのはドーム上部だけという。担当は100年後の東京駅を見据えたという。「トランベール」は復原・保存工事といっているが、私にはイノベェション工事だと思う。 最後に是非予算のことを書いておきたい。なんとこの個運比は500億である。都市計画法と建築基準法の改正が2000年にあり「特例容積率適用地区制度の適用があり、判り易くいうと東京駅上空の末利用の容積を周辺のビル事業者達に売り渡したのだ。 しかし金は出来たが、周辺のランドスケープは大きく変わった。周辺は皆ノッポビルに変身して東京駅のみ小人の一寸法師になり果ててしまった。東京駅が我が身を食べた姿に見えてならない。将来に悔いが残るのではないかと山形の後期高齢者は思うのである。 参考 トランベール 2012年 9月号 東日本旅客鉄道(株) 新建築 2012年11月号Page16TitleNameNumber会員だよりAITA yukihiko6/7
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