広報かほくNo1110平成25年1月15日
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ふ あ  あ きのかみたてかん せい   ぶん きくるわ   こ ぐちきり ぎしごう し 谷地高等学校では、3年生の2学期に体育の授業で「社交ダンス」を行います。 初めにステップの練習をしたのですが、全員がとても真剣に取り組み、すぐに覚えることができました。私が思っていたよりとても簡単で踊りやすかったです。 ジルバ、チャチャチャ、ワルツという3種類のステップでダンスをしたのですが、その中でもワルツが一番苦戦しました。同じところでずっと踊っているジルバとチャチャチャとは違い、全員が同じ方向に移動し、回転するので、周りの人とぶつかったり、またペアどうしで足が合わなかったりと難しかったようです。最後にはきちんと踊れるようになりました。 普段近づく機会がない人を相手として組む際に、少し恥ずかしくなるかと思っていたのですが、みんな全くそのような素振りもなく、ワイワイ仲良く、またその中でもお互いに気を遣いながら踊っているようでした。真剣な中にも楽しさがあり、普段あまり話をしない人と会話し、ステップを互いに確かめながら踊ることができました。 初めての「社交ダンス」は、プロの先生をお招きしご指導いただいてとても貴重な体験でした。小野明日香(袖屋敷) 両所集落の東側に「和楯山」と呼ばれている、標高150メートルほどの小高い山があります。頂上付近はかつて水道の配水池になっていたところで、河北町一帯が給水可能となり、水道も急速に普及したと言われています。この山は中世の末期に、布阿安芸守によって築かれた「楯跡」で、配水池工事の際、山頂が削り取られましたが、中央に「水神様」が合祀され、その周辺は畑と果樹園になっています。 「楯」とは城のことで、ほかに館や要害、堀の内など、現在も各地の地名に見られます。城というと天守閣や石垣を想像するかもしれませんが、中世の城は、「土から成る」土造りの城だったのです。布阿安芸守は寛正・文亀年間(1500年ころ)の豪族と推定され、谷地中条氏に属し西里地区を支配していた領主であり、和楯は「ふあたて」から「わだて」に変わったとも、また、和田氏の城との伝えから「和田の楯」から変化したとも考えられています。 遺構は、曲輪、虎口、帯曲輪、切岸からなり、中規模程度の城で、南東側は急傾斜に階段状に曲輪を巡らし、緩やかな西側は空堀(横堀)を造って守りを固めていたようです。pterrhchapterchappterpterchapter36chapter36社交ダンスde青春!社交ダンスde青春!和楯山両所配水池●西里●両所活性化センター根際●農村環境改善センター●サン・スポーツランド両所松橋谷地治部橋中島サハトべに花●河北中学校●和楯山楯跡92文化財保護審議会 委員布川 昱哉▲山頂の配水池跡周辺。中央に水神様が見えます「河北町の中世城館址」▶(河北町教育委員会発行)より引用287347広報かほく平成25年1月15日発行1110発行/山形県河北町役場☎0237(73)2111 編集/政策推進課 毎月1日・15日発行 印刷/株式会社 武田印刷●この広報紙は、自然環境保護の ため植物油インキと再生紙を 使用しています。きまりを守り住みよいまちをつくります2013.1.15号(10)

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